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吉田松陰の花押(サイン) 吉田松陰.com


吉田松陰に関する史跡巡りデータベース



北は青森、南は熊本まで全国を旅した吉田松陰。
このページでは、吉田松陰関連の史跡、石碑、銅像、
訪れた主な場所、著名な観光地などを紹介しています。
松陰がいかに全国を巡ったかを感じて頂ければと思います。

吉田松陰に関する史跡巡りの一助としてもご活用ください。

(※1:松陰自身に関係した史跡のみを掲載しており、
金子重輔を除く門下生関連の史跡は掲載していません)
(※2:現在の状態を保証するものではありません)
(※3:松陰に関する碑文や案内板等が設置されている場所の
情報がありましたら、ご連絡をお願いしたく存じます)


【吉田松陰の人生時系列、場所別】
時期番号 吉田松陰の人生時系列 年齢 関連する場所
@ 生誕〜青年期 1〜21歳 山口県
A 北浦巡検、九州遊学の旅 21歳 山口県長崎県熊本県佐賀県福岡県
B 江戸遊学、房総踏査 22歳 山口県兵庫県愛知県東京都神奈川県
C 東北脱藩の旅 23歳 千葉県茨城県福島県新潟県秋田県
青森県岩手県山形県宮城県栃木県
D 諸国遊学の旅 24歳 山口県広島県香川県奈良県大阪府
岐阜県三重県
E 江戸〜長崎の旅 24歳 神奈川県京都府大分県熊本県
F 下田踏海〜萩送還 25歳 静岡県山口県
G 野山獄〜松下村塾主宰 25〜29歳 山口県
H 江戸送致〜処刑、その後 30歳 山口県神奈川県東京都
I 番外編 愛媛県山口県


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【山口県にある松陰関連史跡】
@生誕〜青年期、A九州遊学、B江戸遊学、D諸国遊歴の旅
E江戸〜長崎への旅、F萩送還、G松下村塾主宰、H江戸送致、I番外編

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、墓、銅像 備考 関連リンク
@ 団子岩の生家跡 山口県萩市椿東 吉田松陰先生誕生地碑
吉田松陰と金子重輔像
松陰が生まれ幼少期を過ごした生家跡。
@ 産湯の井戸 山口県萩市椿東 吉田松陰先生産湯の井碑 誕生の際、使用された産湯の井戸。
@ 玉木文之進旧宅 山口県萩市椿東 松下村塾発祥之所碑 13歳の松陰は、ここで学んだ。「松下村塾発祥の地碑」が建っている。
@ 森田家住宅 山口県萩市黒川 養母・久満の実家。松陰も訪れた。
@ 旧明倫館跡 山口県萩市堀内 山鹿流兵学教師として教壇に立つ。移転前の旧明倫館跡。
@ 明倫館跡 山口県萩市江向 吉田松陰先生講学の跡碑 山鹿流兵学独立師範として講義。
@ 萩城跡 山口県萩市堀内 11歳、萩城、御前講義を行う。現在は指月公園になっている。
@ 山田亦介旧宅跡 山口県萩市江向 山田亦介旧宅地碑 16歳、山田宅で学ぶ。
@ 林真人誕生地跡 山口県萩市川島 林真人誕生地碑 17歳、ここで山鹿流兵学を学ぶ。
A 本陣河崎家 山口県美祢市 吉田松陰投宿の碑 九州遊学のために萩を出発し、初日は本陣河崎家に宿泊した。
A 関谷松兵衛旧宅跡 山口県下関市伊崎町 関谷松兵衛旧宅跡碑 北浦巡検の際、松陰が投宿した。
A 本陣伊藤宅跡 山口県下関市 本陣伊藤邸跡碑 北浦巡検や九州遊学の際に宿泊したが、説明文に松陰に関する記述はない。
B、H 萩往還公園 山口県萩市椿 維新の群像〜松陰と門下生の像
(吉田松陰記念館)
松陰の左右に久坂、高杉の像が並ぶ。
松陰に関する資料を展示。
B 関戸宿本陣跡 山口県岩国市 吉田松陰先生東遊記念碑(歌碑) 江戸遊学の際、通過。
B 岩本家宅跡 山口県岩国市周東町 吉田松陰常宿の地碑 江戸遊学の際、岩本家に宿泊。
D 錦帯橋 山口県岩国市岩国 嘉永6年諸国遊歴の際、訪れている。
E 現・上関大橋付近 山口県熊毛郡上関町 吉田松陰詩碑(帰郷夢断の詩碑) 長崎に向かう途中で書いた詩の碑。
F 亀屋市之助宅跡 山口県岩国市周東町 吉田松陰宿泊の地碑 下田踏海後、萩送還途中に宿泊。
F 明木橋 山口県萩市明木 吉田松陰 過明木橋碑(詩碑) 下田踏海後、萩送還途中に通過。
F 明木橋跡 山口県萩市明木 吉田松陰歌案内板 当時、明木橋はここにあった。
G 野山獄跡 山口県萩市今古萩町 吉田松陰詩碑 松陰が入った萩の野山屋敷(獄舎)。士分の者が入獄した。
G 岩倉獄跡 山口県萩市今古萩町 金子重輔絶命之処碑
獄中聞渋木生赴碑
士分以外の者が入れられた獄舎。下田踏海に失敗した金子重輔がここで病死した。
G 金子重輔旧宅地 山口県萩市津守町 金子重輔舊宅地碑 下田踏海をともにした金子重輔の旧宅地碑。染物商茂左衛門の長男 としてここに生まれた。
G 保福寺 山口県萩市北古萩町 贈正五位金子重輔之墓 下田踏海事件後、金子は野山獄で病死。松陰は死を深く嘆き悲しんだ。
H 松陰神社(萩) 山口県萩市椿東 吉田松陰 歌碑
明治維新胎動の地碑
松下村塾(本物)
吉田松陰石膏像
吉田松陰幽囚の旧宅
(至誠館)
(吉田松陰歴史館)
「親思う心にまさる・・・」歌碑
「胎動の地」碑は佐藤栄作が揮毫。
現存する松下村塾。
松下村塾内に安置されている像。
野山獄を出た松陰が幽囚した杉家家屋。
(松陰直筆資料などを展示)
(松陰の人生を蝋人形で再現)




H 涙松跡 山口県萩市椿 涙松の遺址碑 江戸送致の際、萩に別れを告げた場所。
H 吉田松陰先生史跡小公園 山口県萩市佐々並 吉田松陰先生東送之碑(歌碑) 萩から江戸送致の途上、歌を詠んだ。
H 萩往還 山口県萩市佐々並 吉田松陰先生東送通過之地碑 萩から江戸送致の途上、通過した。
H 吉田松陰・寺島忠三郎訣別の地 山口県周南市熊毛 吉田松陰・寺島忠三郎訣別の地碑 江戸送致の途上、寺島と訣別した地。
H 小瀬川の渡し 山口県岩国市 吉田松陰 歌碑 萩から江戸送致の途上、歌を詠んだ。
H 吉田家墓所 山口県萩市椿東 吉田松陰遺髪墓 松陰の遺髪墓。父母、叔父・玉木文之進、養父・吉田大助、兄・民治の墓のほか、久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿の墓もある。
H 桜山神社 山口県下関市 松陰吉田先生神霊(招魂墓) 高杉晋作の発議によって創建された。
H 泉福寺 山口県萩市浜崎町 吉田松陰の位牌
吉田松陰像
松陰の菩提寺。位牌、像を安置。
H 萩高校 山口県萩市堀内 士規七則の碑 正天皇即位大礼を記念して建立。
H 県立奈古高校 山口県阿武郡阿武町 松下村塾(レプリカ) 二代目校長・山本明治氏が陣頭指揮をとり建築。
H 徳山大学 山口県周南市 松下村塾(レプリカ) 大学創立20周年と吉田松陰生誕160年を記念して建てられた。
H 山口放送(前庭) 山口県周南市 松下村塾(レプリカ) 山口放送の社長であった野村幸佑氏の発案で建築。社員研修の場として活用しているとのこと。
I 滝部八幡宮 山口県下関市豊北町 烈婦登波之碑 八幡神社の宮番をしていた父の仇打ちを行った女性、登波の顕彰碑。登波を讃えた松陰の選文が刻まれている。


【長崎県にある松陰関連史跡】
A九州遊学、E長崎の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
A 長崎・長州藩蔵屋敷跡 長崎長崎県市興善町 長崎に着いた松陰が出入りした。現在は長崎県自治会館。長崎の松陰に関する史跡はコチラのサイトに詳細に記載されている。
A 高島秋帆旧宅跡 長崎県長崎市東小島町 著名な砲術家・高島を訪ねた。
A 出島オランダ屋敷跡 長崎県長崎市出島町 長崎訪問時、見て回った。
A 崇福寺 長崎県長崎市鍛冶屋町 中国人が建てた建物として見物。
A 小松屋跡 長崎県佐世保市早岐町 吉田松陰(小松屋)投宿の碑 この地に来た際、宿泊したという宿跡。
A 江迎中央公園 長崎県佐世保市 吉田松陰腰掛石 佐世保から平戸へ向かう途中で、疲れた身体をこの石に腰を下ろして休んだとされる。
A 葉山佐内邸跡 長崎県平戸市 平戸藩元家老・葉山の元で多くを学んだ。
A 紙屋政之助家跡 長崎県平戸市 吉田松陰宿泊紙屋跡碑 葉山に紹介された宿。平戸での宿とした。
A 積徳堂跡 長崎県平戸市 山鹿流兵学者・山鹿万助の塾。入門したが松陰にはもの足りなかった。
A 原城跡 長崎県南島原市 原城跡を見学している。


【熊本県にある松陰関連史跡】
A九州遊学、E長崎の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
A 豊前街道 熊本県玉名郡和水町 街道碑(吉田松陰通過碑) 三加和町平野に建つ新しい街道碑。
A、E 宮部鼎蔵邸跡 熊本県熊本市 宮贈正四位宮部鼎蔵先生邸址碑 後に生涯の友となる宮部。後に宮部邸へ宿泊もしている。熊本の松陰に関する史跡はコチラのサイトに詳細に記載されている。
A 本妙寺浄地廟 熊本県熊本市 加藤清正の墓所。難病に御利益があるとのことから、聾唖の弟・敏三郎の想い、参拝。
E 小楠堂跡 熊本県熊本市下通 横井小楠の私塾・小楠堂を訪問し、影響を受けた。松陰が訪ねた小楠堂は、「四時軒」の前の熊本市下通の場所にあった。


【佐賀県にある松陰関連史跡】
A九州遊学

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
A 藩校・弘道館 佐賀県佐賀市松原 松陰は各地の教育機関を見学した。
A 中原宿 佐賀県三養基郡みやき町 中原宿の説明板。松陰が泊まった旨の説明あり。


【福岡県にある松陰関連史跡】
A九州遊学

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
A 内野宿 福岡県飯塚市内野 松陰の日記に「寂寥の宿」などと記されている。


【広島県にある松陰関連史跡】
B江戸遊学、D諸国遊歴、H江戸送致

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
B、D 厳島の古戦場跡(厳島神社) 広島県廿日市市宮島町 毛利家の伝説的な合戦・厳島の古戦場を実地検分するために訪れた。
H 八坂峠(三県一望の地) 広島県廿日市市大野町 古蹟・吉田松陰腰掛けの岩 江戸護送の際、八坂峠のこの岩から望む大島を見ながら、故郷を想ったとされる。


【兵庫県にある松陰関連史跡】
B江戸遊学

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
B 姫路城 兵庫県姫路市本町 「姫路城中に宿す」との記述。
B 楠木正成の墓碑 兵庫県神戸市中央区 墓碑に詣でる。徳川光圀による「嗚呼忠臣楠子之墓」の碑文石摺を購入している。
B 阿保親王塚 兵庫県芦屋市 毛利家の祖と伝わる親王陵墓を参詣。


【愛知県にある松陰関連史跡】
B江戸遊学

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
B 熱田神宮 愛知県名古屋市熱田区 三種の神器の一つである草薙剣を御神体とする熱田神宮に参拝。
B 今川義元本陣跡(高徳院) 愛知県豊明市 桶狭間で合戦で敗れた今川義元の墓を訪れている。


【東京都にある松陰関連史跡】
B江戸遊学、F萩送還、H江戸送致、処刑、その後

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、墓、銅像 備考 関連リンク
B 長州藩上屋敷(桜田藩邸)跡 東京都千代田区 長州藩の江戸における拠点として出入りした。現在の日比谷公園の一部。
F 長州藩下屋敷(麻布藩邸)跡 東京都港区 下田踏海事件後、松陰と金子が麻布藩邸に引き取られた。現在の東京ミッドタウン。
B 佐久間象山砲術塾跡 東京都江東区永代 勝海舟や松陰らが学んだという説明板 佐久間象山が西洋砲術塾を開いた信濃国(長野県)松代藩下屋敷があった場所。
B 佐久間象山邸跡(塾跡) 東京都中央区銀座 松陰に触れた説明板 佐久間象山の私塾があった場所。松陰が興した下田事件により閉鎖された。現在の電源開発ビルがある場所付近。
B 蒼龍軒塾跡 東京都中央区 鳥山新三郎の塾。ここで多くの仲間と議論した。現在の東京駅八重洲南口付近。
B 練兵館跡(靖国神社内) 東京都千代田区 江戸三大道場の一つ。斎藤父子と知り合った。現在の靖国神社内に「神道無念流練兵館跡」碑が立つ。
B、F 泉岳寺 東京都港区高輪 江戸遊学時に赤穂四十七士の墓を参詣。また、下田踏事件後、江戸に護送される途中、門前で「かくすればかくなるものとしりながら やむにやまれぬ大和魂」という有名な詩を詠んだ。
H 十思公園 東京都中央区日本橋 松陰先生終焉之地碑
吉田松辞世の句碑
吉田松陰顕彰碑
大安楽寺の真向かいにある十思公園。
付近一帯が伝馬町牢屋敷であった。

H 小伝馬町駅出口 東京都中央区日本橋 江戸伝馬町牢屋敷跡 吉田松陰先生終焉之地碑 十思公園とは別に「江戸伝馬町牢屋敷跡 吉田松陰先生終焉之地」と書かれた碑が立つ。
H 大安楽寺 東京都中央区日本橋 江戸伝馬処刑場跡碑 吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎等50人余が投獄され、多くがここで処刑された。
H 小塚原回向院
(松陰二十一回猛士墓)
東京都荒川区南千住 松陰二十一回猛士墓 処刑後に埋葬された場所。改葬されたので、現在は空墓。
H 東京・松陰神社(松陰先生墓) 東京都世田谷区若林 吉田寅次郎藤原矩方墓
吉田松陰像
松下村塾(レプリカ)
木戸孝允らの手により改葬され、遺骸が眠る墓。元は毛利家の所領であった。


H 靖国神社元宮 東京都千代田区九段北 桜田門外の変や、殉難者や、安政の大獄で命を落とした吉田松陰、橋本左内などの維新殉難者の霊を祀るため京都に建てられたものを、70年後の昭和6年(1931)に靖国神社に移されたというもの。
H 正松神社(乃木神社内) 東京港区赤坂 玉木文之進と吉田松陰が祀られている。萩の松陰神社から二柱の分霊を請い受け、摂社として境内に鎮守されている。
H 中央区立箱崎公園 東京都中央区日本橋 吉田松陰像 日本橋高校内にあったという像を移転、設置。
H 玉川大学 東京都町田市 松下村塾(レプリカ) 学園創立者・小原國芳氏が松陰ファンだったことにより復元。


【神奈川県にある松陰関連史跡】
B江戸遊学、E長崎旅行、F下田踏海、H江戸送致

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
B、D、F 瑞泉寺 神奈川県鎌倉市二階堂 松陰吉田先生留跡の碑 母方の伯父で瑞泉寺住職をしていた竹院和尚に会いにこの寺を何度も訪れている。
B 毛利季光の墓 神奈川県鎌倉市 江戸遊学時に鎌倉を訪れた際、鶴岡八幡宮などの他に、毛利家の祖・毛利季光の墓にも参詣している。
B 徳田屋跡 神奈川県東浦賀 吉田松陰・佐久間象山相会処碑 浦賀で一番栄えていた宿、徳田屋の跡。房総半島踏査の前に松陰も訪れた。
B ペリー公園 神奈川県横須賀市 ペリー上陸の地。浦賀にいた松陰は、手紙の受け取り拒否も出来ない幕府の態度を見届けた。
E 浦島太郎の墓(蓮法寺) 神奈川県横浜市 長崎へ向かう途中に浦島太郎の墓に詣っている。
H 箱根神社 神奈川県足柄下郡箱根町 吉田松陰歌碑 江戸送致の際、句と手ぬぐいを送ってくれた高須久子にむけて吉田松陰が詠んだ別れの歌の歌碑。


【千葉県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 本福寺 千葉県松戸市 吉田松陰脱藩の道碑(辞世句碑)
吉田松陰当山に宿す碑
東北旅行に出た吉田松陰は、水戸に向かう途中、千葉・松戸で本福寺に宿泊した。
C 川口神社 千葉県銚子市 松陰先生曾遊之地碑 銚子港を訪れた際、松陰が防備の手薄さを嘆いた漢詩を刻んでいる。


【茨城県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 笠間藩校・時習館跡 茨城県笠間市 笠間藩校・時習館を見学。
C 筑波山神社 茨城県つくば市 名高い筑波山に登り、関東平野を実見。筑波山神社前の宿に宿泊。
C 永井政介宅跡 茨城県水戸市南町 吉田松陰留学之地碑 水戸藩士・永井政介宅に約1カ月余り滞在。親交も深めた。
C 会沢正志斎の屋敷跡 茨城県水戸市南町 「新論」の著者に会う為、何度か訪れている。現在、住友生命水戸ビルとなっており、会沢正志斎の銅像が建つ
C 偕楽園 茨城県水戸市 日本三名園だが、「今は則ち荒廃す」と書いている。
C 車丹波遺恨の地(車丹波祠) 茨城県水戸市元吉田 吉田松陰来拝之地(立て札) 水戸遊学の際、常照寺や車丹波祠を訪れたという。
C 西山荘 茨城県常陸太田市 徳川光圀が隠居生活を送った場所を見学。
C 瑞竜山 茨城県常陸太田市瑞竜町 水戸徳川家累代の墓や朱舜水の墓を詣った。現在は一般公開されていない。
C 厳島神社(子生の弁天様) 茨城県鹿島郡 遺馨吉田松陰先生遺跡碑 参道の右隅にあった旅宿に松陰が泊まったことに因んで大正時代に建てられた。
C 鹿島神宮 茨城県鹿嶋市 常陸一之宮である鹿島神宮参詣。その後、鹿島神宮の祠官を訪ねている。
C 吉田松陰遊歴之地記念碑 茨城県北茨城市磯原町 吉田松陰遊歴之地記念碑 磯原の野口氏宅に宿泊した際に見た夢の詩文が刻まれている。


【福島県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 吉田松陰遊跡(竹貫) 福島県石川郡古殿町 吉田松陰遊跡記念碑 碑文は嘉永5年正月竹貫に一宿した時の日誌。
C 後宿公園 福島県いわき市植田町 殉国 吉田松陰先生遊歴之地碑 東北第一夜の記念碑。碑の裏側は「東北遊日記抄」の該当部分が刻まれている。
C 藩校日新館跡 福島県会津若松市 藩校・日新館を外から見学、海防に詳しい教授である高津平蔵から意見を聞いた。
C 清水屋旅館跡 福島県会津若松市 清水屋旅館跡碑(松陰の説明文あり) 「東北遊日記」に記された七日町の宿がこの「清水屋」。
C 山鹿素行誕生の地 福島県会津若松市 松陰が学んだ山鹿流兵学の祖である素行の誕生地。しかし、松陰は何も触れていない。
C 心清水八幡神社 福島県河沼郡 吉田松陰 東北遊日記の碑 松陰が訪問。東北遊日記からの該当部分を刻んだ記念碑がある。
C 久下田屋旅館 福島県白河市中町 「吉田松陰逗留の宿」とうたっている。詳細は未確認。


【新潟県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 旧本陣渡部家 新潟県東蒲原郡阿賀町 吉田松陰宿泊の地記念碑(杉板)
吉田松陰宿泊の里(杉板)
「吉田松陰・宿泊の地・嘉永五年」と杉板に墨書きした記念碑と「吉田松陰宿泊の里」と墨書きした記念碑がある。
C 諏訪峠(旧会津街道の峠) 新潟県東蒲原郡阿賀町 吉田松陰の詩碑 越後街道最大の難所・豪雪の諏訪峠を命がけで踏破した。「諏訪嶺、雪深く路険し、行歩甚だ難む」と詠んでいる。それを記念した詩碑が建っている。
C 白山神社 新潟県新潟市 吉田松陰詩碑 医師・中川立庵を訪ねた際、その人柄に感激し、息子の東庵に贈った詩。
C 笠原家 新潟県出雲崎町 吉田松陰の船待ち宿の跡 案内板
(現在は撤去されているとのこと)
佐渡に渡ろうとした際、荒天のため、船待ちのため宿泊したという宿跡。
C 真野御陵 新潟県佐渡市 吉田松陰・宮部鼎蔵詩碑 順徳天皇を偲び、宮部とともに、ここで詩を詠んだ。佐渡では、奉行所や佐渡金山にも訪れた。


【秋田県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 武村記念公園 秋田県大館市北神明町 吉田松陰永訣の歌碑
松下村塾(レプリカ)
親思う・・・歌碑。鳳鳴高校OBで当時、安田生命相談役の竹村吉右衛門氏の発案で建築。
C 山内儀兵衛宅跡 秋田県大館市 吉田松陰先生遊歴記念碑


【青森県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 矢立峠 青森県平川市 吉田松陰の漢詩碑(木板) 松陰は南部藩の忠臣・相馬大作の行為を称え、感動して詠んだ追慕の詩の詩碑。
C 伊東家松陰室 青森県弘前市元長町 伊東家松陰室 松陰たちが訪れた伊東家広之進の家。松陰の会談した部屋は、一部が保存されており、会談した座敷は、松陰室と命名され、現在も大切に保存されている。
C 佐和屋 青森県弘前市本町 松陰が食事をしたと言われているという。
C 赤堀道の渡舟場跡 青森県五所川原市 吉田松陰先生渡舟記念碑 松陰の来歴を記念して建てられたもの。
C 史蹟 神原之渡し 青森県五所川原市 史蹟十三舘岡街道 吉田松陰ゆかり之地 松陰の来歴を記念して建てられたもの。
C 紺屋(田中長十郎邸)跡 青森県五所川原市 吉田松陰先生昼食の場所碑 土地の豪農・紺屋(田中長十郎)で昼食をとったという言い伝えによるもの。
C 吉田松陰遊賞之碑 青森県北津軽郡市浦村 吉田松陰遊賞之碑(初代) 十三湖を左手に見ながら歩いた風景を松陰は、「真に好風景なり」と賞賛。その日記に因んで石碑を建てた。
C 吉田松陰遊賞之碑 青森県北津軽郡中里町 吉田松陰遊賞之碑(三代目) 石質を黒御影に変更し、建立地点も500m程南側の現地点に移動。二代目の碑は、役目を終えて現在の碑の下に眠っている。
C 算用師峠 青森県北津軽郡中泊町 みちのく松陰道(傾り石側)
みちのく松陰道(三厩側)
吉田松陰が、津軽海峡の防衛検分のために歩いた道。現在は「みちのく松陰道」として整備されている。
C 竜飛岬 青森県東津軽郡外ヶ浜町 吉田松陰詩碑 松陰が憂国の想いを詠んだ詩碑。松陰は竜飛岬を遠方より望んだだけで、実際には竜飛岬には訪れていない。
C 大泊鋳釜崎の記念碑 青森県東津軽郡今別町 吉田松陰記念碑(東北遊日記) 吉田松陰が「東北遊日記」で記している文を刻んだ記念碑。
C 松前街道(松陰くぐり) 青森県東津軽郡今別町 松陰くぐり(名所) 松前街道の難所で吉田松陰が通ったことから、この名前で呼ばれている。
C 平舘村台場跡 青森県東津軽郡外ヶ浜町 津軽藩が築いた西洋式砲台場。『かの有名な吉田松陰が嘉永五年三月七日北風吹く雪どけの頃歩くのに難渋しながらこの台場と附近の情景を「東北遊日記 」に記している』と説明板に記されている。
C 簑ヶ坂(旧奥州街道) 青森県三戸郡三戸町 駕籠立場吉田松陰記念碑 「東北遊日記」嘉永5年(1852年)3月9日付の日記に「蓑坂を過ぎ、金田市(一)、福岡を経、末の松山を越えて一戸に宿す。」と書き記されている。南部発祥800年を記念して建てられたとのこと


【岩手県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 中尊寺 岩手県西磐井郡平泉町 松陰も中尊寺を訪問している。


【宮城県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 羽州街道七ヶ宿の滑津宿 宮城県七ヶ宿町 松陰習学館(公民館) 松陰・宮部が滑津宿に一泊したことを記念。公民館の名称を松陰の名前に因んでいる。
C 藩校・養賢堂跡 宮城県仙台市 仙台城下で藩校・養賢堂を見学した。現在は宮城県庁が建つ場所。
C 瑞宝寺 宮城県仙台市青葉区 伊達政宗の菩提寺である瑞宝寺を見学。
C 多賀城址 宮城県多賀城市 松陰は、多賀城碑を見て、感激した。
C 松島 宮城県松島町 日本三景・松島を訪問。
C 塩竃神社 宮城県塩竃市 陸奥国一宮である当神社を参拝。


【山形県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 吉田松陰投宿の地(米沢) 山形県米沢市 吉田松陰投宿の地碑 吉田松陰の来訪を記念した記念碑。
C 日和山公園 山形県酒田市 吉田松陰顕彰碑(詩碑) 30の文学碑の20番目が松陰の詩碑。「東北遊日記」の一節が記載されている。


【栃木県にある松陰関連史跡】
C東北脱藩の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
C 日光東照宮 栃木県日光市 東照宮の絢爛豪華さに賛辞を呈している。
C 足利学校 栃木県足利市 松陰は歴史あるこの学校の様子を細かく記録した。


【香川県にある松陰関連史跡】
D諸国遊歴の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
D 金刀比羅宮(金毘羅宮) 香川県仲多度郡琴平町 金毘羅宮に参拝。金毘羅周辺と崇徳上皇陵墓の繁盛の差を嘆いた詩を残している。


【奈良県にある松陰関連史跡】
D諸国遊歴の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
D 森田節斎宅跡 奈良県五條市 松陰も訪れた旨の説明文 江幡五郎の師でもある森田に学んだ。
D 谷三山塾跡 奈良県橿原市 松陰は諸国遊学の途中、2度谷三山を訪ねた。


【大阪府にある松陰関連史跡】
D諸国遊歴の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
D 仁徳天皇陵 大阪府堺市堺区 森田節斎宅に向かう途中に参詣。
D 千早城址 大阪府南河内郡千早赤阪村 楠木正成だった城。松陰はここを訪ね大楠公を偲んだ。
D 仲村家住宅 大阪府富田林市 吉田松陰に関する案内板 森田節斎に同行し、ここの10日間ほど滞在した。
D 塩屋甚兵衛邸跡 大阪府岸和田市 吉田松陰の逗留地(案内板) 森田節斎と共に岸和田に滞在した。
D 中 左近邸跡 大阪府泉南郡熊取 松陰は、この地に3日間滞在した。


【岐阜県にある松陰関連史跡】
D諸国遊歴の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
D 今尾神社 岐阜県海津市 吉田松陰先生参拝碑 伊勢神宮参拝の折に今尾神社に参拝したとされる。


【三重県にある松陰関連史跡】
D諸国遊歴の旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
D 伊勢神宮外宮 三重県伊勢市 皇室の祖神・天照大神を祀る伊勢神宮に参拝した。


【京都府にある松陰関連史跡】
E江戸、長崎の旅、H松陰の死後

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
E 山河襟帯の詩碑 京都府京都市左京区 奉拝鳳闕詩石碑
吉田松陰山先生河襟帯詩碑
長崎でのロシア艦搭乗を決意して、江戸を発して、その途中京都に立ち寄り、皇室の衰微と孝明天皇の憂慮に想いを馳せて、「山河襟帯の詩」を詠んだ記念碑。
E 梁川星巌邸跡 京都府京都市左京区 慷慨の志で知られた梁川星巌を訪ねた。
H 京都大学附属図書館 京都市左京区 吉田松陰像(木像) 明治35年、松下村塾門下生であった品川弥二郎が疋田雪州に作らせた。
この像の顔が生前の松陰の顔に一番似ているといわれている。
H 京都造形芸術大学 京都府京都市左京区 吉田松陰像 松陰に刺激を受けた理事長の発案により設置とのこと。


【大分県にある松陰関連史跡】
E長崎への旅

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
E 私塾・知来館 大分県大分市鶴崎 尊皇論者の儒学者・毛利空桑(くうそう)を、その私塾知来館に訪ねた。


【静岡県にある松陰関連史跡】
F下田踏海

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
F 伊豆古道 東浦路 静岡県伊東市 吉田松陰先生腰掛けの平石 下田へ行く途中、「東浦路」を駆け下って下田への道を急いだ。その途中に腰かけた平石とされる。
F 村山行馬郎邸(蓮台寺温泉) 静岡県下田市蓮台寺 吉田松陰奇寓の跡碑
吉田松陰湯治場の跡
疥癬を患っていた松陰は地元の医者・村山行馬郎に匿われた。
F 岡村家跡 静岡県下田市 吉田松陰投宿の跡碑 下田で松陰たちが宿とした場所。
F 名主・杉村家跡 静岡県下田市 吉田松陰先生御宿泊跡碑 江戸へ護送される途中、大仁村名主・杉村友右エ門方で一泊。その際、韮山代官江川太郎左衛門は名主邸の奥の一室で松陰の縄のいましめをとき暖かい接待をつくした。松陰は太郎左衛門の手をとって、その配慮に深謝したといわれる。このことは名主・杉村家に代々言い伝えられてきたという。
F 了仙寺 静岡県下田市 松陰は、ペリー一行の了仙寺訪問を目撃している。
F 松陰の小径 静岡県下田市 松陰の小径(散策道) 海外密航のため、弁天島に向かう際に通ったとされる海岸線の道。
F 弁天社 静岡県下田市柿崎弁天島 七生説の碑
金子重之助記念碑
踏海の朝(吉田松陰と金子重輔像)
ペリー艦隊に近づく前に松陰と金子重輔が潜んだ場所。
F 三島神社 静岡県下田市柿崎 吉田松陰石像 昭和17年に三島神社内に建立された吉田松陰の石像。
F 福浦海岸 静岡県下田市 吉田松陰上陸所跡碑 松陰たちが送り返されて再上陸した場所。
F 長命寺観音堂跡 静岡県下田市 吉田松陰拘禁之跡碑 下田踏海事件後、勾留された場所。
F ハリスの小径 静岡県下田市 吉田松陰「至誠通天」顕彰碑 近年になって建てられた。


【愛媛県にある松陰関連史跡】
I番外編

時期 名称 所在地 松陰に関する石碑、銅像 備考 関連リンク
I 志の道 愛媛県四国中央市 吉田松陰言葉碑 松下幸之助や西郷隆盛などの言葉の碑とともに並ぶ。直接の由来はないと思われる。




【吉田松陰の人生時系列、場所別】
時期番号 吉田松陰の人生時系列 年齢 関連する場所
@ 生誕〜青年期 1〜21歳 山口県
A 北浦巡検、九州遊学の旅 21歳 山口県長崎県熊本県佐賀県福岡県
B 江戸遊学、房総踏査 22歳 山口県兵庫県愛知県東京都神奈川県
C 東北脱藩の旅 23歳 千葉県茨城県福島県新潟県秋田県
青森県岩手県山形県宮城県栃木県
D 諸国遊学の旅 24歳 山口県広島県香川県奈良県大阪府
岐阜県三重県
E 江戸〜長崎の旅 24歳 京都府熊本県
F 下田踏海〜萩送還 25歳 静岡県山口県
G 野山獄〜松下村塾主宰 25〜29歳 山口県
H 江戸送致〜処刑、その後 30歳 山口県神奈川県東京都
I 番外編 愛媛県


※参考文献:「江戸の旅人・吉田松陰」「エピソードでつづる吉田松陰」(共に海原徹先生著)、
「吉田松陰」(川口雅昭先生著)、「月刊松下村塾」「二十一回猛士」(ザ・メディアジョン)、
その他吉田松陰関連本、サイト、ブログなど多数。




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