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東京の吉田松陰関連の史跡としては、刑場の露と消えた松陰最期の地に関する史跡が点在しています。
このページでは、東京の松陰関連史跡をご紹介します。
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【大安楽寺(江戸伝馬町処刑場跡)】
江戸伝馬町処刑場跡に建てられている大安楽寺。
大老井伊直弼による安政の大獄により、吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎等50人余が投獄され、その多くが処刑された。
吉田松陰もこの地で斬首された。
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【十思公園(江戸伝馬町牢屋敷跡)】
吉田松陰が収容された江戸伝馬町牢屋敷跡にあたる公園「十思公園」。
大安楽寺の向かいにある閑静な公園であるが、場所柄からか心霊スポットとしての側面もある。
明治8年に廃止されるまで存続しており、当時は2,618坪と広大な牢屋敷であったという。
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【石町(こくちょう)時の鐘、吉田松陰終焉の地碑】
十思公園内にある「石町(こくちょう)時の鐘」と「吉田松陰終焉の地碑」。
牢屋敷の処刑場では、この鐘の音を合図に死刑囚の首を刎ねたと伝えられている。
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【第7代 山田浅右衛門吉利(首切り役人)の墓 新宿区・勝興寺】
江戸時代、幕府の御様御用(おためしごよう)という刀剣の試し切り役(身分は浪人)を務めていた
山田家の当主が代々名乗った名である「山田浅右衛門」。罪人の斬首執行人を兼ね、首切り浅右衛門、人斬り浅右衛門とも呼ばれた。
第7代の吉利は、安政の大獄のとき、吉田松陰や橋本左内を斬首した人物として知られる。その人物の墓が新宿区の勝興寺にある。
吉田松陰が江戸に於いて浅右衛門に首を斬られたその最期の態度は、実に堂々たるものであったという。
吉田松陰の最期を山田浅右衛門は後年こう語っている。
「いよいよ首を斬る刹那の松陰の態度は、実にあっぱれなものであった。悠々として歩き運んできて、
役人どもに一揖(いちゆう)し、“御苦労様”と言って端座した。その一糸乱れざる堂々たる態度は、幕吏も深く感嘆した」
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【小塚原回向院(吉田松陰墓、橋本佐内墓)処刑直後の墓】
松陰の処刑後、桂小五郎(後の木戸孝允)らの尽力により小塚原回向院に供養された当時のお墓(現在は空墓)。
「松陰二十一回猛士墓」との銘がある。文久3年、高杉晋作らの手により毛利家の別邸があった太夫山、
現在の東京世田谷・松蔭神社に改葬されて現在に至る。
右画像は、松陰と同じく、安政の大獄で処刑された橋本佐内のお墓。吉田松陰の墓のすぐ隣にある。
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【東京高輪 泉岳寺(赤穂四七士墓所)】
伊豆の下田で密航に失敗した松陰が伝馬町獄送りとなる途中、泉岳寺の門前を通りすぎる際、
義士たちに想いを馳せて松陰は以下の詩を詠んだ。
「かくすれば かくなるものと知りながら やまぬやまれぬ大和魂」
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【東京世田谷・豪徳寺 井伊直弼の墓】
安政の大獄を断行した井伊直弼が眠る豪徳寺(東京・世田谷)と井伊直弼の墓。
皮肉にも松陰が眠る松陰神社と井伊直弼が眠る豪徳寺は、近くにある。
寛永10年(1633年)彦根藩主・井伊氏の菩提寺として創建された。招き猫発祥の地とされる。
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【東京・松陰神社】
東京・世田谷にある松陰神社。
毛利家の別邸があった場所に松陰の門下生・高杉晋作、伊藤博文らが、小塚原回向院にあった松陰の墓をこの地に改葬。
その場所に社を築いて松陰の霊を祀ったことから始まる。よって松陰神社は萩と東京の2か所にある。
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【松下村塾(復元レプリカ) 東京・松陰神社内】
東京松陰神社内に復元されている松下村塾(レプリカ)。本物は萩の松陰神社内にある。
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【吉田松陰の墓(遺骸が眠るお墓) 東京・松陰神社内】
東京・松陰神社内にある松陰が眠る正真正銘の吉田松陰の墓。
松陰の墓は全国に4か所存在する。斬首された遺骸を弟子たちが取り戻し葬った小塚原回向院の墓(現在は墓石のみ)。
後に小塚原回向院から改葬し、遺骸が眠る東京・松陰神社内のこの墓。
山口県萩の松陰誕生地付近にある墓(遺髪が納められた遺髪墓)。
山口県下関にある桜山神社の招魂墓(高杉晋作の発議によって創建された幕末志士達の招魂場)。
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【正松(せいしょう)神社 港区・乃木神社内】
東郷平八郎と共に日露戦争の英雄とされ、高潔な人格者として名高い長州藩出身の乃木希典大将を祀った乃木神社(港区)。
その境内にある「正松神社」(せいしょうじんじゃ)。玉木文之進と吉田松陰が祀られている。
乃木希典は吉田松陰を追慕し、16歳のときに、松陰の叔父であり、松下村塾の創始者でもある玉木文之進の門に入り薫陶を受けた。
吉田松陰を深く敬い、玉木から教育を受け、これが乃木大将の人格形成に大きく影響を与えたということで、
乃木神社戦災復興の際、萩の松陰神社から二柱の分霊を請い受け、摂社として境内に鎮守されることとなった。
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【靖国神社、大村益次郎像、靖国神社元宮】
東京都千代田区にある靖国神社。右画像は靖国神社にある大村益次郎の像。
吉田松陰、坂本龍馬、高杉晋作、中岡慎太郎、武市半平太、橋本左内、大村益次郎などの幕末志士たちも
有名無名を問わず、維新殉難者として国の為に散った幾多の戦没者たちとともに靖国神社に合祀されている。
下段の画像は、靖国神社の本殿脇にある「元宮」。
桜田門外の変や、坂下門外の変の殉難者や、安政の大獄で命を落とした吉田松陰、橋本左内などの
維新殉難者の霊を祀るため京都に建てられたものを、
70年後の昭和6年(1931)に靖国神社に奉納され、この場所に移されたというもの。
靖国神社の思想的源流とも呼ぶべき祠で、靖国神社のHP上では、靖国神社の前身と位置付けている。
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