D吉田松陰をより深く知る(研究者の著作を読む) |
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「幕末の思想家・教育者、吉田松陰。下田踏海、投獄、刑死という劇的で短い生涯を辿り、松下村塾から幕末維新の人材が輩出した理由、そしてたえず揺れ動いてきたその人物像について、松陰研究の第一人者が迫る」。吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の著作。吉田松陰の基礎的知識を網羅した定番本。管理人オススメ! |
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「長州藩の兵学師範をつとめ、松下村塾を主宰して維新の俊傑たちを育てた吉田松陰は、安政の大獄を断行する幕府から政道批判を咎められ死罪となった。その思想的影響は没後も衰えることはなく、三十年の短い生涯にかかわらず、公刊された評伝は膨大な数にのぼる。「革命家」「憂国忠君の士」「理想の教育者」など、時代の状況によって描かれ方が目まぐるしく変化したのはなぜか。維新に先駆けた思想家の人物像を再構築する試み」。管理人オススメ! |
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「幕末動乱の時代を風のように駆け抜けたラジカリスト松陰の魅力とは何か。なぜ彼の教育はいつまでも瑞みずしさを失わず、たえずわれわれに新しく語りかけるのだろうか。村塾で展開された人間教育の諸相―来学の動機、紹介者、通学と寄宿、教育費、出席状況、カリキュラムなどを、92名の門生たちのその後の活躍に関連づけながら見た。村塾教育の全体像を描いた書」。
吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の吉田松陰三部作の第一弾。 |
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「松下村塾に学んだ92名の塾生たちの全生涯―生年、出自、学歴、幕末維新期の活躍などを克明に追跡し、そこでの教育が一人ひとりの人間形成にどのような意義をもったのかを、未見の豊富な史料を駆使しながら探った。村塾教育とは何であったのか、百数十年の歳月を越え、たえずわれわれに新しく語りかけるその教育の魅力について、成功者、非成功者すべての塾生たちの言動や出処進退から掘り起こし、問い直そうとした画期的な一書」。吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の吉田松陰三部作の第二弾。 |
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「幕末・維新の激動期を塾生はどう生きぬいたか。村塾の教育は彼らの人間形成にどうかかわったのか。村塾教育を松陰時代から明治25年の閉塾へ及ぶ時期にまで拡大して、そこでの人間形成を制度的学校との対比で描き出す」。
吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の吉田松陰三部作の第三弾。 |
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「30年の短い生涯の間に、松陰は精力的に日本各地を旅している。彼を旅に駆り立てた理由や動機は何か。旅の中で何を見てとり、何を経験したのか。旅から学んだものが、彼の主張や行動にどのように反映されていったのか。著者は、彼が歩いた道筋を自身の足で歩いて見ることにした。彼が草鞋を脱いだ旅宿を探しあて、教えを乞うた学塾の跡に佇むと、旅日記や手紙に記された出来事が、昨日のことのように蘇り、雄弁に語りかけてくる。彼が歩いた道筋を辿り、松陰の謎に迫る」。吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の著作。 |
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現在の吉田松陰研究の第一人者・海原徹氏の著作。「長州藩、そして日本を討幕運動へと動かした吉田松陰。彼の行動と思想についてはよく知られている一方で、「どのような風貌だったのか」「旅費はどれくらい要したのか」など、これまで不明だった点も数多く残されている。本書では、吉田松陰と松下村塾研究に二十年以上にわたって取り組んできた夫妻が、その知られざる側面を明らかにする」 |
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「どこから見ても非の打ちどころのない真面目人間、あるいは神格化と言うにふさわしい理想的人物とされてきた吉田松陰の実像は、いかなるものだったか。前著『エピソードでつづる吉田松陰』では文字通り普段着の松陰像を取り上げたが、本書ではさらに別の側面、とりわけ兵学者や教師として世に出た松陰がいかに発言し、行動したのかという角度から、松陰や村塾に関わるエピソードや話題を取り上げる」。
吉田松陰研究の泰斗・海原徹氏の著作。 |
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維新前夜、一瞬の光芒のごとく時代を駆け抜けた吉田松陰。かれは後半生を過ごした萩・野山獄で、一人の女囚・高須久子と出会う。本書は、数首の和歌とわずかな句によって見え隠れする久子の人物像を、近年発見された史料から詳らかにし、久子との交流によって更に深められた松陰の人間解放への志を明らかにする。時代を背負い、時代と壮絶に対決した若き思想家の精神の軌跡を辿り、新たな人間像を描きだすヒューマン・ドキュメント。
萩・野山獄で相見えた松陰と女囚高須久子.秘められた史料から両者の交流をたどり,松陰の人間解放への志と新たな人間像にせまる。 |
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戦前を代表する吉田松陰研究の大家・玖村敏雄先生の著作で、吉田松陰研究の最高峰の著作とも評され、現代の吉田松陰研究の前提となっている名著。この著書で「教育者・吉田松陰」の評価が揺るぎないものになったとのこと。著者は吉田松陰全集の編纂も行っている。 |
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戦前を代表する吉田松陰研究の大家・玖村敏雄先生の著作で、吉田松陰研究の最高峰の著作とも評され、現代の吉田松陰研究の前提となっている名著。この著書で「教育者・吉田松陰」の評価が揺るぎないものになったとのこと。著者は吉田松陰全集の編纂も行っている。 |
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「人は歴史を作る。そしてより以上に危機は人を作る―。藩の兵学師範への道を歩んでいた一青年の前に、アヘン戦争に象徴されるヨーロッパ列強のアジア進攻と、その圧力によって増幅され混迷の度を深めていく幕藩制社会の姿があった。三十歳の若さで刑場に果てた松陰の思想と行動が、時代と人間精神との壮絶な対決として現代によみがえる」。 |
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明治の元勲はすでに位高く志満ちて意欲を失い、今や維新の大業はなかば荒廃したという切実な認識から、では現状をいかに打破するかの精神的課題を、松陰像に結晶させた徳富蘇峰。その若々しい筆致は、本書を傑出した史論・人物論たらしめている。明治26年版を底本にし、読みやすさに意を用いている。 |
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「没後一五〇年たった今も、人々を感奮させてやまない幕末維新の志士。松陰が生まれていなかったら、この国はどうなっていたのか?18歳から約40年松陰研究に身を捧げた著者がおくる“吉田松陰伝”」。著者は、吉田松陰研究が30年に及ぶという人間環境大学教授・川口雅昭氏。著者は下田渡海の目的を「ペリー刺殺」にあったとする異説を展開している。 |
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ペリー来航に始まる開国過程において日本が経験したことは、単に他者としての欧米やアジアに対する認識にとどまらず、「日本」という自己認識の転回であった。そしてその背後にはみずからの持つ思想的伝統に対する反省と読み替えが存在していた。この転形期を最も劇的に体現した吉田松陰の思想と行動を、没後150年目の今、まったく新たな視座から問い直す。彼の軌跡を追体験することは、また同様に一箇の転形期である今日の日本を逆照射することもなるであろう。 |
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世界で最初に書かれた「松陰伝」の謎を追って――。スティーヴンスン研究家である著者は、ある時、文豪の一行に目が釘付けになった。そこには、彼がヨシダトラジロウの伝記を書いたと記されてあったからである。だとすると、それは国内の誰よりも早く、世界で初めて書かれた松陰伝ということになる。だがそれにしても、彼はいつ、どこの誰から松陰のことを知ったのだろうか。そしてその内容とは。またイギリス人の彼をして松陰伝を書かしめた動機とは何か。そこに込めようとしたメッセージとは。アメリカ、スコットランド、日本、著者の謎解きの旅が始まる。
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